目玉焼き

ホントは気持ちの悪い名前ですよね、「目玉」ですよ「目玉」。

ホントに目玉を焼いてたりしたら、それはもう食欲が無くなりそうですが、いやいや卵で良かった。白身カリカリ、黄身トロトロ、白と黄色のコントラストが美しいというのが僕の完成形。特に注意すべきは、黄身の色です。決して白くなってはいけません。そう考えていると「目玉焼きを焼く」という行為もかなり真剣で熟練な作業になります。

フライパンをじゅーぶんに温めます。そこに油を適量入れてチチチッチって感じになったら、弱火にします。そして、心の中で自分問いかけます。「焦ってないか。落ち着いているか。辛抱強くいれるか。」そう、目玉焼きの完成の美しさは自らのコンセントレーションにかかっているのです。

さて、フライパンに卵を割りいれます。きれ〜いにまんまるの形になるように、形を整形しながらフライパンの上にそーーーーとおきます。黄身がその中心となることは当然ですが、白身の広がり方も重要です。富士山に美しい裾野があるように、目玉焼きにもそれにふさわしい白身エリアの広さがあります。黄身の直径に対して1.25倍が最も美しいと世界最初の料理本、古代メソポタミアの粘土板にはそういう記載があったそうです。( ̄∇ ̄)ウソです

さてそれ以降は、そのままじっと見つめるだけ。誠心誠意優しい気持ちで見つめましょう。しかし、そんなに気をつけて料理をしていたとしても、失敗する時はやって来ます。フライ返しで黄身に触れてしまい、黄身が流れ出してしまった。。。。。。細心の注意を払っていたはずなのに、ちょっとの油断が、ちょっとの集中力不足が。口に入れるまでは決して冒していけないその大切なものを、15ミューミリの薄さの卵黄膜を、私のミスで。目の前の広がる惨状を凝視しながら、湧き上がる後悔の念。こんな事になるんだったら、朝食に目玉焼きなんてするんじゃなかった。沈む気持、果てしなく広がる心の闇は、気持はまるで人生に失敗したかのようです。

そー、確かにそのままだったらただの人生の落伍者になりかねない。しかし、その時、自らを奮い立たせるような闘争心、負けるか!、私ならきっとできる、そういうような思いがこみ上げてきます。そしてその瞬間、一線の光明が見えたのです。これまでの人生経験と、周囲の方々とのつながりと、愛と、恋しさと〜、せつなさと〜、心強さと〜(by篠原涼子)自らの持てる力、精神力、知恵、技術の全てミックスさせて昇華した「スクランブルエッグ」。ケチャップで美味しくいただきました。いや〜、うまかった。

また次回も真剣勝負です。いつも、鶏さんに感謝です。
ではでは。



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